第12回 桜上水の桜
玉川上水第二公園に咲き誇る桜が、今年もわれわれ住民の目を楽しませてくれました。江戸時代から花見の名所とされた小金井の桜をはじめとして、玉川上水にはあちこちで桜が植えられてきました。この辺りに高い建物が建ち今のような住宅街になる前の田んぼや平屋の家で見通しのよかった戦後の頃には、神田川のほとりから崖線に沿った上水の桜の花がピンクの帯のように見えたそうです。この地域が桜にちなんで桜上水と通称されて、京王線の駅名になり、甲州街道をこえた世田谷区では正式な町名にもなっています。
第13回 京王電車(1)
われわれ住民が身近な足として利用している電車が京王電車です。京王電車は、東京(新宿)から八王子までを結ぶ鉄道で、京王電気軌道(株)が甲州街道に沿って軌道として建設したものです。最初に開通しだのが笹塚~調布間で1913年(大正2年)のことです。道路上に線路を敷く軌道としたのは、鉄道より安く早くかつ乗客の身近な所を通ることができるなどからでした。線路の幅(軌間)は東京市電と同じ1372mmで、JR 在来線の1067mmより広い特殊なものです。笹塚から新宿まで直通したのは1915年、八王子まで全線の直通運転を開始したのは1928年でした。新宿の始発地点は現在の新宿3丁目交差点伊勢丹の筋向いの所で、その後新宿御苑寄りの当時の本社ビル1階にかわり、1945年7月に新宿西口(地上)に移りました。現在の地下駅になったのは1963年(昭和38年)4月のことです。
第14回 京王電車(2)
開通の頃新宿三丁目交差点の始発駅を出た京王線は、甲州街道を国鉄(現JR)の線路を跨線橋でこえて走っていました。新宿駅南口の陸橋の上には停車場前の駅(停留場)、さらに笹塚、火薬庫前等の駅がありました。火薬庫前はその後松原になり、帝都電鉄(現在の井の頭線)ができて接続駅の明大前に統合されました。桜上水の駅は電車が開通した頃にはなくて、新宿寄りは下高井戸(日大前の時期がある)、八王子寄りは上北沢(北沢の時期がある)でした。桜上水の駅は1926年に電車の車庫が設けられて北沢車庫前として誕生し、その後京王車庫前、1937年(昭和12年)にこの辺りの通称だった現在の駅名になりました。桜上水にあった車庫・工場は1959年高幡不動の車庫ができてから移転し、今は留置線と住宅展示場になっています。
第15回 京王電車(3)
1916年9月に府中まで開通した京王線は、玉南電気鉄道という子会社によって1925年に八王子(駅は東八王子、1963年に北野寄りに移設して京王八王子に改称)に達しました。この電車は狭軌のため府中で乗り換えが必要でしたが、翌年吸収合併して軌間を本線に合わせ直通運転ができるようになりました。京王線の支線は、多摩ニュータウンを通る相模原線が調布から分岐し1990年には橋本まで全線開通しています。この線は1916年に開通した多摩川原(現京王多摩川)までの砂利の運搬線が始まりで(トロッコの線路が川原まで続いていた)、駅前には遊園地「京王閣」がありました。1931年北野から多摩御陵まで御陵線が開通しましたが戦火が厳しくなった1945年に廃止され、資材は転用されました。1967年に開通した高尾線はそのルートの一部を利用しています。その他に、1955年に東府中から府中競馬の競馬場線が、1964年には最初多摩動物公園線といった動物園線が高幡不動から分岐して開通しています。