片山秀雄
昭和27年頃に八幡神社を撮った写真があったので町会長の下河内さんにお見せした所、
町会便りに載せて欲しいとの依頼がありました。折角の機会なので当時のこの地区の状況を書いて置きたいと思い、幸い当時の地図も入手出来たので併せてご紹介します。
家族で神戸から覚蔵寺の借地である現住所へ引っ越してきたのは昭和25年私が高校2年の時でした。当時玉川上水は川沿いの桜並木の下を滔々と流れそれは見事な景観でした。我が家の敷地は上水から下がった低い場所で土地は湿り気味で庭には親指ほどの小さな青蛙が沢山居ました。それを食べる蛇も出ました。水道、下水道、東京ガスもなく、井戸水を汲み出しバケツで風呂桶へ汲み入れは大変でした。道路は砂利道で高三小学校の生徒は喧嘩となると危険な事にその砂利を投げ合っていました。
八幡神社に行くには高三小の北側の道から畑を突っ切り田圃のあぜ道を通る畑道があって、写真はそこから撮ったのだと思います。ここからは富士山も見えました。この神社前の田圃の水源は上北沢の玉川上水公園が東八道路に突き当り途切れる所で上水から分水した水路で今も細い舗装路として3丁目内に残っています。
この頃冬はよく雪が降り桜上水駅に抜ける加藤橋の北の坂道や八幡神社の北側斜面はスキー遊びが出来ました。
(角南恵児さん提供。昭和42(1967)年の大雪にお宅から八幡神社方面を撮った写真。昭和27年の写真とくらべて人家が増えています。)
甲州街道は拡張工事中で幅は現在と同じですが舗装の車道は左右1車線だけでした。
地図の桜上水駅の南の丘には三井牧場がありますがここは後に都営桜上水団地になりました。
地域の著名人としては八幡神社の東隣に作曲家故服部正さん、更に東に行った所に作家の故野坂昭如さんがお住まいでした。野坂さんはよく下駄で散歩をされているのを見かけました。
戦前に下高井戸寄りの玉川上水小菊橋北側にはスケート場も在る今でいうレジャーランド「吉田園」がありました。この地図にも池が記載されています。
(詳細は https://www.suginamigaku.org/2014/10/old-yoshidaen.html)
蛇足ですが昭和17、18年頃私の小学校の遠足は毎年京王多摩川の遊園地京王閣。京王電車は今の新宿3丁目交差点から四谷に寄ったビルが始発駅で新宿南口の陸橋の上を走る路面電車でした。
私は勤め先が川崎でしたが市原に工場が移転し昭和36年以来千葉で生活したので彼岸に車で高速道路だけを利用して東京に戻るくらいで、知らぬ間に玉川上水の流れは無くなり京王線も都心側が地下に潜って居ました。定年で東京に戻った時はまるで浦島太郎。多車線の車列の中での右折左折運転が恐ろしく馴れるまでには時間がかかりました。
2020.10片山秀雄