第16回 子供の遊びー夏の水浴び
団塊の時代の人たちが、子供のころどんな遊びをしていたのでしょうか。昭和40年代初めの頃までは、下高井戸の辺りは畑や田んぼそして雑木林や原っぱと豊かな自然が溢れていました。玉川上水にはとうとうと水が流れ、神田川も農業用水として使用される川でした。春から夏の時期になると八幡様の裏の神田川には田んぼに水を引くための堰が設けられ、上流はプールのようになりました。そこにはお釜と呼ばれた深く広いところもあったりして、格好の水泳場でした。板切れを集めて筏遊びもしました。水浴びの帰りにのどを潤したのは畑のトマトでした。玉川上水は流れが速く危険なため厳重な柵がしてありましたが、悪童どもは橋の上から飛び込んでは急な流れにのって明大前の堰までスイスイ泳いでいったりしていました。
第17回 玉川上水下高井戸村分水
江戸に上水を供給するためにつくられた玉川上水ですが、その水は周辺の村々の飲水や灌漑用水にも用いられていました。記録によると、このための玉川上水の分水口は34箇所あったそうです。この辺りにも下高井戸村分水があり、昭和37年の水道局の調査では約3町歩の水田に5月初め~9月末の間灌漑用水を供給していました。水路の跡は現在遊歩道になっています。上水からの分水口は鎌倉街道旭橋跡の西100m辺りの左岸で、その先から東へ向かい鎌倉街道をこえた先で北へ向きを変えて、住宅の裏を300mほど進んでから東へ、下高井戸幼稚園・保育園の南側を進み下高永福多目的会議室(注)の北側へ出ます。そこで八幡橋脇から流れてきた神田川の分流に流れこんでいました。分水の延長は10町余(109.09m/町)と記されています。昭和33年の地図には、この流れに沿って50m位の幅で田の記号がついています。
(注)現在は現レイモンドほいくえん
第18回 子供の遊びー秋の神田川
神田川が改修されるまえ八幡橋のところには、春になると分流に水を流すための堰が設けられました。この分流は周辺の水田に灌漑用水を供給するためのもので、八幡様の東側の崖沿いに東へすすみ下高永福多目的会議室の北で下高井戸村分水をあわせ、向陽中や東電のグランドの南を南東方向へ流れていました。秋になって田んぼに水がいらなくなると堰が外されます。子供たちはこのチャンスを狙って、4人くらいが一組になり大きな網と棒を持って堰が切れて腰くらいの深さになった分流に入って、網に追い込んだ魚をとったものです。とれた魚は、鮒、鯉、鯰、鰻(20cm位のものも)などでした。獲物はジャンケンをして皆で分けました。
第19回 井の頭線(1)
京王電鉄井の頭線は1933(昭和8)年8月帝都電鉄(株)により渋谷~井の頭公園間が開通、翌年吉祥寺まで延伸された鉄道です。国鉄の渋谷~吉祥寺間のショートカット線です。設立の頃は小田急電鉄の系列会社でしたが、戦争中の交通調整令による企業合同の時代を経て戦後京王電軌と一緒になり、帝都電鉄線から京王帝都電鉄(株)井の頭線になりました。昭和の初期のころ、東京郊外の4つの私鉄の路線免許が出された中の1つがこの前身です。明大前の井の頭線のホームから永福町寄りの水道管をくぐる辺りの線路敷が4線分あるのは、今は幻となってしまった東京を環状線で結ぶ東京山手急行の計画路線が帝都線と接続する予定だった名残です。
第20回 井の頭線(2)
井の頭線の最寄駅は西永福で各駅停車の電車しか止まりませんが、吉祥寺や井の頭公園へ行くときに便利な駅です。駅の南側は整備された閑静な住宅地となっており、駅の北には井の頭通りを渡って大宮八幡宮、和田掘公園など善福寺川に沿った散策に絶好の場所があります。井の頭線は渋谷の近くにはトンネルがあり、築堤や切通しの多い路線で、高井戸から先吉祥寺にかけては神田川沿いに走ります。神田川が改修され流域に住宅地が広がっていくようになった昭和30~40年代より前は、都内にまだこんな所があるのかと思うような車窓から水田を間近に見る田園風景の中を走る郊外電車でした。現在も駒場東大前駅の南側には、わが国農学研究発祥の地の名残である今は筑波大学の付属校が耕作している水田が見られます。
第21回 子供の遊び-冬
最近は暖冬でしのぎやすくなりましたが昔は寒さが厳しく、しかも暖房は火鉢やコタツだけでした。でもその頃の子供たちは風の子、コタツにへばりついていると親に追い出され外で遊んでいました。陽だまりではメンコやベーゴマ、原っぱでは凧揚げや三角ベースの野球などで、高三小の裏や向陽中ができる前の日本水産のグランドが主な凧揚場、高さを自慢しあっていました。凧糸が買えなくて家のミシン糸を持ち出して母親に怒られたりしました。雪の散らつくような日に、刈取りの終った田んぼにカゴでスズメ獲りの仕掛けを作ったりしたこともありましたが、獲物はほとんど入りませんでした。家の中の遊びはカルタ、双六、将棋などで、アラレやミカンなどの素朴なおやつを食べながら夢中になって競い合いました。女の子たちは、おはじき、お手玉、人形遊び、外では石けり、なわとび、毬つきなどをしていました。